2010年10月26日火曜日

自己紹介パート2~最高の時間、語学学校、TOEFL~

学生ライターの内藤良亮です。


前回は、留学を決めたきっかけ等を書かせて頂きましたが、今回はその続きから書かせて頂きたいと思います。主に、大学に入るまでの語学学校生活といったところでしょうか。

前回のBlogでも書かせて頂きましたが、僕自身、英語が本当に出来なかったため、英語の勉強は、語学学校に入ってから1からのスタートとなりました。最初は知人の紹介で、Hawaiiにある語学学校に行くことになりました。勿論、クラスは一番下のレベルで、僕より英語の出来ない韓国人のおじさん、日本語はペラペラでも英語は全く分からない別の韓国人、そして僕という3人のクラスでした。2人の韓国人には、先生の言っていることが全く分からなかったので、僕が日本語に訳して、日本語の分かる韓国人に伝え、それからもう一人のおじさんに韓国語で説明するみたいな流れで授業を進めていったので、全く授業自体は進みませんでした。

学校が終わるとサーフィンに行ったり、買い物に行ったり、そこで出来た日本人の友達の家に行ったりで、勉強も少しはしていましたが、英語はあまり上達しませんでした。それにハワイには日本人が非常に多く、言葉の通じる同じ国出身の人と遊ぶほうがやはり楽しいというのもあり、毎週末日本人で集まったり、韓国人に混ざってパーティー三昧であったりと、それは最高に楽しい時間でした。後悔はしていません、っと言ったらウソになりますが・・・

ちなみに、この時のTOEFLの点数は、380-430でした。


やはりここにいては、英語が伸びないと考えた僕は、行動を起こします。アメリカ本土にある別の語学学校の中から比較的安価なところを探し出し、サンフランシスコにある学校へと行くことになりました。今回は自分で全てを調べ上げ、住む場所も専用のエージェントに連絡を取り、ホームステイ先を紹介してもらいました。そのホームステイ先は、5人から7人ぐらい生徒を受け入れている家で、なんとなく金儲けのためだけにやってます、みたいな感じがホストマザーから伝わってくるような家でしたが、それなりに楽しくやっていました。

日本人というのは結構どこに行ってもいるもので、その語学学校にも沢山いましたが、今回は日本語を話さないと決めて来たので、日本人は失礼がない程度に無視し、彼らとはつるまないようにしました。正直、あまり良く思われていなかったとは思います・・・

基本的には、ドイツ人、スイス人、タイ人、韓国人、トルコ人、アメリカ人と遊ぶように心掛けていました。当時、アメリカ人のおじさんたちがプレイする野球チームにも所属し、週に一回はおじさんたちと野球をしていました。レベルは高くなかったですが、アメリカ人に囲まれて、スポーツを通じて交流を深めるというのは、非常に良い英語を学ぶ手段だと思います。

日本人がハウスメイトになった時は、韓国人の振りをして全てを英語で喋り、彼はそれを信じて、結局4ヶ月間、彼は僕の事を韓国人だと思って接していました。その時、本当に彼は全く気付いてなかったみたいで、騙しているみたいで悪い気はしていましたが・・・・

でも、そこを離れる時に初めて、彼に自分は本当は日本人であることを告げると、本当に驚いてはいましたが、彼は「ありがとう」と言ってくれました。今でも連絡を取り合う良い友達関係が続いています。

その努力のお陰もあったのか、運も手伝ったのかは分かりませんが、サンフランシスコに来て1年後にはTOEFLも380点から500点に引き上げることに成功し、希望していた短期大学へと入学することが出来ました。


今アメリカや他国への留学を考えている皆さん。どこへ行っても日本人が何人かはいると思います。ですが、その国に自分が何をしに来たのか、何が今の自分にとって一番必要なのかを考えて行動することをお勧めします。もし、自分に甘いと自己分析が出来ているのなら、やはり日本人の出来るだけ少ない、アメリカの田舎の方に行って英語を学ぶべきだと思います。自分の意志の固さ次第ではあると思いますが、参考までに。

本日はこの辺で。これから、今履修しているAdvance CoachingというクラスのPhilosophy Paper を書かなければならないので。

Go !! Beavers!!!!


Ryosuke Naito、CSCS
Springfield College

0 件のコメント:

コメントを投稿