2010年10月26日火曜日

山と谷の狭間

全ては、やる気ある者へのエール。



半人前の僕が、偉そうに自分の思いをつらつらと綴っているのも、
全ては、負けん気溢れる君へのエール。


これは、とある夢見る少年の実録。


自慢でも自己満足でもない、全ては、俺こそが!と盛り立つ者へ。
奮起するのもよし、鼻であしらうのもよし。
書き手が自由、故に読み手も自由。そこが今日のスタートライン。



生まれも育ちも神戸、根っからの神戸人。夢は大きく、迷わず実行。
20歳、大学3年生の青年は2009年1月、大きな目標を掲げた。


イチローの傍で仕事をしよう、と。
その年の夏にシアトルマリナーズでインターンしよう、と。


無名大学3年生の彼は、根拠のない自信を糧に
三種の神器と呼ぶには余りに乏しい内容の
履歴書・志望動機書・リファレンスを3チームに送りつけた。


イチローのマリナーズ。松井のヤンキース。松坂のレッドソックス。


送ってからというもの、彼の夢は膨らむばかり。
しかし現実は夢ではなく、文字通り現実。


3月半ばを回り、3つのメジャーリーグ球団から始まり、
それらの傘下にあるマイナーリーグのチームから不合格通知が殺到。


自信とプライドから成り立っていた彼は自暴自棄に。



俺じゃ無理なのか。
と諦めたところに、母からのエール“ダメ元でもう一回。”


どのスポーツも既に応募を締め切っていた3月中旬、0からもう一度。
彼は色んなチームにメールを送った。
イチローへの手紙も書いた。思い付く限りの手を駆使し。


それでも吉報は訪れず、ストレスとプレッシャーとの戦い。


最後の最後に彼の熱意を買ったチームが、
Major League Soccer Kansas City Wizards。
彼は涙を流し喜び、そして感謝した。



イチローの傍で働く。無名大学の経験浅はかな3年生が。
順序が全く違うことにはっきり気付いた青年。そこから徐々に変わり出した。



KC Wizardsで学んだ事は、アスレティックトレーナーとしての大きな基盤になったと共に、その後の道をも左右する要因に。メール1通の大切さ、服装、心構え、何よりも本当の意味のありがたみを学べたのは彼の財産となっていた。



Wizardsのヘッド&アシスタントトレーナーの後押しを受け、彼はCSMF Leadership Conferenceに全米20人の内の1人に選出され、NFL Detroit Lionsのサマーインターンを経験。



線で繋がり出した元の点を辿ると、
山のようなMajorとMinor League Baseballからの不合格通知がそこに。


挫折と呼ぶには小さな事かも知れない。
しかし、彼の心にとてつもなく重くズシんと響いたのは確かだろう。



来る12月に卒業を控えた彼のもう一つの大きな挑戦。


Detroit Lionsのヘッドトレーナーである、Dean Kleinschmidtの大きなサポートをバックに彼は先日もう一つの結果を出すことに。



彼は奇跡的にESPN Wide World of Sports in Orlando, FloridaにてMLBアトランタ・ブレーブスのSpring Campで働くと共に、併設してあるスポーツコンプレックスで多数のスポーツをカバーすることに。



人との繋がり、感謝の回数、辛い時期の笑顔の数だけ彼は強くなり、成長する。
From There to Here。大なり小なり、誰しもが持つ物語。


結果ではなく、その過程で見られる一生懸命さ。


読まれもしないイチローへの手紙、締め切られていると分かっていながら
ダメ元で送り続けるアプリケーション、自分を取ってくれと執拗なまでの電話とメール。


もちろん、相手によったら嫌われるのも確か。
甘いな、若いな、と言われるのも承知。


しかし、冷めた目で早々見切りを付け、諦める人間に、
誰も手は差し伸べないだろう。



全ては、やる気ある者へのエール。
それ以外、何ものでもないこの実話。


僕が常に心に置いているもの。
It’s not impossible to believe “nothing is impossible”
(不可能はないと信じることは不可能ではない)


そう。全ては、負けん気溢れる君へのエール。



川田圭介
Henderson State University

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