心に1本、軸の通った人間に必ず備わっているもの。
それこそが誇り。
負けられない、これだけは譲れない、背負っているもの、守るべきもの。
人は自分の誇りを汚された時、苛立ち反抗する。人は自分の誇りを見下された時、奮起し本当の力を発揮する。
そう。自分への誇りというものが、顕著に表れたそんなNFLでの話。
6月下旬、スーツ姿の僕は緊張な面持ちのままデトロイトの土地に足を踏み入れた。ライオンズの練習施設の充実度に半ば心酔しながらも、全米から集まったインターン5人との顔合わせ。
言われてもいないのに、6人全員スーツ姿。
それが当たり前にできる連中だと一目でわかった。
服装、髭、話し方、握手。どれをとっても皆ここにいることに納得できる奴ら。
大学の名前を見ても、U of Michigan, K State, Purdue, U of Georgia, Iowa State。
そうそうたるメンツにHenderson Stateの日本人。
言いたくはないが、“なぜ俺が?”そう思わざるを得ない始まり方だった。
いいチームワークが出来上がり順風満帆な船出に見えた、一つを除いて。
1週目。
6人が6人とも相手を認めることを心の中で拒んでいた。
相手が自分よりできる、頭がキレる、才能。
単に負けたくなかった。その一言に尽きる。
仕事が始まると自分からすることを見つける。阿吽の呼吸ではないが、頼まずとも気づいてヘルプに来てくれる。収納庫に入っているもの全ての位置を把握する。
言いたくはないが、Henderson Stateの連中とは、レベルが違っていた。
僕たちが背負っているもの、大学の看板。
大げさに聞こえるかもしれないが、実際僕の場合、日本という国。
僕がすることなすこと、全てHenderson State Universityの評判に直結する。むしろ、日本人への固定観念のモデルにさえなりえる。
自分の大学で習ったこと、していること、発見したこと。それに誇りを持つが故、他の大学の奴らには負けられない。切磋琢磨とはこのことを言うのだと身を持って体感した2ヶ月。
もちろん、6人が6人とも同じ回数失敗を犯した。事実、僕もとんでもないミスをしたのは確かである。
ミスをした人間は躍起になって自分の失態を挽回しようとする。
その姿を見て笑う者は誰一人としていなかった。逆に、すかさず助太刀に入り、ミスを分け合う。
自分を誇り相手を蔑む、そんな陳腐な人間はおらず、皆、人として心に余裕をもった連中ばかり。
勝ち負けの基準が全く違うところに設定されていた、そんな感覚。
ある日の練習で誰のせいでもなく、ただのボスの勘違いで6人並列し怒鳴られたことがあった。見当もつかないことで怒鳴られる中、一人が一歩前へ出て、
“That’s my fault sir. I am so sorry. I never let that happen again sir.”
(すみません、私のミスです。2度同じ失敗はないことを誓います。)
と。
鳥肌が立つほど感動したのを鮮明に覚えている。
言うまでもないが、彼のミスでも何でもない。誰でも出来ることではない。
怒られてもいい、全部ミスを被ってもいい、
例えボスから失望されたとしても、俺はそれをバネに上へ行く。
ビールを飲みながら笑って言った彼の目には、自分の行動への誇りが見えた。
6人の仲間、いつもと違った仲間の絆に出会えた。
そんな気がした2ヶ月だった。
学べば学ぶほど、自分の小ささに気付く。
出会えば出会うほど、人生の未知数に驚かされる。
先は長い、生き急ぐ必要はない。
ゆっくりじっくり、自分の軸を固めるとしよう。
川田圭介
Henderson State University
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