学生ライターの内藤良亮です。
それでは、この前の続きから・・・・
OregonにあるLinn-Benton Community Collegeに行き始めた僕。
大学の授業に期待を膨らませ、アドバイザーとのミーティングに行ってみる。
その人はインターナショナル専門のアドバイザーだったので、ゆっくり自分にも分かるように丁寧に色々なことを説明してくれた。
どうやって、授業をRegisterするのか、保険はどのように申し込むのかなど。
最初のタームは授業も簡単なのが良いだろうという事で、Exercise and Sports Scienceのイントロダクションのクラスと、一番下のWritingのクラス、あとはMath、Baseballなどを履修した。基本的に1年目と2年目の途中までは自分のMajorにはほとんど関係のない、基礎のクラスを履修しなければならなかった。
例えば化学、生物、数学、心理学、物理などの理系のクラスだ。高校では文系だったので、物理は少し苦労したが、それでも他のクラスは英語で学ぶというところ以外は全く問題なかった。化学や、生物、数学はほとんどが日本の中学、高校で学んだ事だった。
Exercise Science のイントロダクションのクラスだが、PEの先生や、大学の教授、大学のトレーナー、ジムのパーソナルトレーナーをしている人たちがクラスに来て、それぞれの人が、自分の経験などを話してくれるクラスだった。そのほとんどが理解できなかったような気がするが、それでもそれなりに理解しようとしていた気がする。
そして、Baseballのクラスというのは、PEのCreditをもらい、大学の野球チームに参加するというもので、秋にトライアウトがあり、冬はトレーニング、そして春にシーズンがあった。
秋のトライアウトにショートとして参加した。もちろん日本人は他にいない。っていうより、白人以外の人種は自分しかいなかった。
これが、素晴らしい経験だった。
常に英語に囲まれ、英語しか話さないし、英語しか聞かない日々だった。
やはりスポーツというのは素晴らしい。野球って素晴らしい。
そこまで言葉で分かり合えなくても、スポーツを通じて分かり合えたからだ。
野球のおかげでたくさんの友達ができた。
そこでできた友達に、色々な事を教わった。
野球ではほとんど教わることはなかったが、パーティーの楽しみ方、ショットガンの撃ち方等。
結局70人ぐらいトライアウトを受け、25-30人ぐらいが選ばれた。
そして、冬の間は室内で練習をし、春にかけて外に出て練習をするようになり、春休みからシーズンが始まった。
1番ショートで試合に出ていた。
プレシーズンが終わり、シーズンが始まって間もなく、
その年一番強いであろうといわれていたチームとの対戦がAWAYであった。
相手の先発はリーグで一番のBird。MAX95マイル(152キロ)の化け物。
僕は1番、レフトで出場。
一打席目の初球に少し差しこまれてショートゴロ(新品のメイプルバットが折られてショックを受ける)。
そして回ってきた2打席目、ランナー1塁。サインはヒットエンドラン。
ピッチャー第一球投げました。
インコースやや高め。
ヒットエンドランのサインが出ていたのでもちろん打ちにいった・・・・・
そのストレートが、アメリカ人特有のナチュラルに内にシュートしてきた。
すでに打ちにいっていた僕の左手首やや上に直撃。
そしてベンチから相手監督が飛び出し、「あれはバットだ」と審判に抗議している。
が、それに反論する余裕もないぐらい痛い・・・・
それでも、なんとかファーストベースまで歩いて行った。
すると、ファーストベースコーチが
「大丈夫か」、「日本語は俺は分からんぞ」とかって冗談を言っている。
僕は正直に「もう無理だ」と言った。
だが、ファーストベースコーチはそれを信じるどころか、
「始まるぞ」とかって言っている。
仕方なく、ベースに着きリードをとる。
だが、もう試合には集中できない。何といっても痛すぎる。
ピッチャーが次の一球を投げベースに戻ると、ファーストベースコーチが耳打ちをしてきた。
「サインが出てるぞ・・・・・」
「え?????」
そして目を疑った。
盗塁のサインが出ている。
腕が上がらないぐらい痛いのに、腕をふって走るなんて、正直無理だと思ったが、スタートを切った。
すると、バッターが打ってくれたので、セカンドベースですべらずに済んだ。
そして、スリーアウトでチェンジになり、次は守りに行かなくてはならなかった。
それでも、気合いでなんとか、2イニング守りに行き、次の打席は流石にバットが持てなかったので代打を送ってもらった。
試合の次の日、病院に行きレントゲンを撮ったが、何も異常はないと医者に言われた。だが、何か重いものをもったりしたら、骨が離れるのが自分では分かる。
そして、1週間後、キャッチボールの途中に激痛が走った。完全に折れた。
一回目のレントゲンでは、折れ目が綺麗すぎて、見えなかったらしい。本当にこれは医療訴訟だったと今でも思う。
でも、2回目のレントゲンでは、割り箸を折ったように真っ二つに折れているのが分かり、手術が決定した。
こんな痛い思いもしたが、それも含めて野球部に所属していたのは本当に良い経験をだったと思う。英語だけじゃなく、それ以上に大事なこと、アメリカの文化を学び、アメリカ人の友達ができ、本当に楽しい時間を過ごすことができた。
スポーツは言葉、文化の違いを超えることを知れたのは、この後自分をもっとスポーツに携わりたいと思わせるきっかけにもなった。
だが、内藤良亮は2年目のフィールドには立たないことを決めた。
Ryosuke Naito, CSCS
Springfield College
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