2011年10月8日土曜日

アメリカサッカーに関するあれこれ:ミア・ハム編

こんにちは。
LAインターンの大島です。

前回のアメリカサッカーシリーズから大分時間が経ってしまいましたね。。。
今回は、アメリカ女子サッカー界のレジェンド的存在であるミア・ハムについて
お話ししたいと思います。



マリエル・マーガレット・ハム(Mariel Margaret Hamm)ことミア・ハム(Mia Hamm)は、4人姉妹の末っ子として、1972年にアラバマ州で生まれました。父親の仕事の都合で住んでいたイタリアでサッカーボールに出会ったのが、彼女がサッカーに触れ合う最初のきっかけとなりました。一時期フットボールチームに所属していた頃もありましたが、最終的にサッカーの道へと戻り、1989年にスポーツ校として有名なノースカロライナ大学チャペルヒル校(University of North Carolina at Chapel Hill:以下UNC)に入学しました。
 
UNC時代は、女子サッカーチーム「ターヒルズ」をNCAAトーナメント4連覇に導き、かつ4年間の在学中に3年間、全米及びアトランティック・コースト・カンファレンス(ACC)の最優秀選手として選ばれました。大学がバスケの神様マイケル・ジョーダンと一緒だった事、彼女が成し遂げた功績をたたえた事が合わさって、在学中は「ジョーダン」のニックネームがついていたそうです。



サッカーにおけるハムの輝かしい実績は大学だけに留まりません。当時史上最年少の15歳で代表入りした彼女は、1991年のFIFA女子ワールドカップで優勝を経験、1996年のアトランタオリンピックでは金メダルを獲得しました。続く1995年の女子ワールドカップでは3位に留まったものの、1999年に再びアメリカ代表をワールドカップ優勝へと導きました。アメリカで行われた1999年度のワールドカップ最終戦には、会場となったローズボウルに9万人を超える観客が集まったそうです。2003年には彼女の活躍で、WUSA所属チーム(参考ブログ:WUSA)のワシントン・フリーダムズがリーグ優勝を果たしました。代表として、現役として最後の国際大会になった2004年アテネオリンピックでは、再びアメリカ代表を金メダル獲得へと導き、同年12月に引退しました。

 
通算代表キャップ数は275、国際大会での通算ゴール数は158にもなります。このゴール数は男女合わせても世界第1位の記録です。

アメリカサッカー界において、ミア・ハムは欠かせない存在となっています。
 
参考:Wikipedia
 
LAインターン 大島麻矢

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