2011年12月11日日曜日

アメリカ東部スポーツビジネス&セカンドキャリア研修プログラムの視察・訪問先ご紹介③Part1「Under Armour Headquarter」


引き続きまして、「アメリカ東部スポーツビジネス&セカンドキャリア研修プログラム」の視察・訪問先のご紹介です。今回は、パフォーマンス・アパレルメーカーUnderArmourHeadquarterのご紹介です。


Under Armourは、1996年にメリーランド大学の卒業生であるKevin Plank氏が25歳という若さで創業し、僅か15年という短い歴史にもかかわらず、NikeAdidasといった世界的に有名なスポーツアパレルブランドを脅かす存在へと急成長している、アスリートのためのパフォーマンス・アスレティックブランドです。MLBNFLといったアメリカのメジャースポーツ選手やカレッジスポーツチームだけでなく、福留孝介選手や阿部慎之助選手、松田宣浩選手といった、数多くの日本人トップアスリートやプロ&実業団チームも、Under Armourブランドと専属契約しています。


それでは先ず、Under Armour社の創業からの軌道に乗り始めるまでの歴史を簡単に振り返ってみます。


199596年:新素材の発見、そして設立   
  • メリーランド大学フットボール部でプレイしていたKevin Plank氏は、大量の汗を吸収することで重くなってしまうコットン製T-Shirtsを、試合中やトレーニング中に何度も着替えなければならないことに嫌気が差していた。しかし、それと同時にPlank氏はあることに気が付いた。それは、体に密着しているアメフトのショーツ(下のユニフォーム)は、コットン製T-Shirtsとは逆に、常にドライな状態を保っていることであった。ショーツと同じような素材を利用してT-Shirtsを作ることが出来れば、汗をかいても重くなることがなくなるため、アスリートのフィールド上でのパフォーマンス向上に繋がるのでは?と、Plank氏は考え始めるようになる。
  •   地元メリーランドの生地店を幾つか周る中で、ショーツと同じように体に密着しながらも伸縮し、尚且つ湿気を吸い取るのではなく、外に逃がす特性を持った合成繊維を発見することに成功する。早速、Plank氏は、500ドル(約4万円)を出し、合成繊維を用いた7種類のサンプルT-Shirtsを製作し、メリーランド大学のチームメイトに試着してもらうようにリクエストする。しかし、光沢があり、女性用下着のようなT-Shirtsを目の前にして、チームメイトの多くが着用することに抵抗を見せていた。渋々ながら着用してみると、コットン製T-Shirtsに比べて肌触りが良いだけでなく、練習中にいくら汗をかいても重くならないため、それまで以上に体が動くことを実感する。次第にチームメイトの意見がポジディブなものへと変化を見せ始める。Plank氏はチームメイトから寄せられた多数の意見を基に、更なる改良を加える。
  • 卒業が近づき、他の同級生が就職活動に勤しむ中、Plank氏は、同じくメリーランド大学でラクロス選手として活躍していたKip Fulks氏(現Vice President of Production)と共に、ワシントンD.C.にある祖母の家の地下室に閉じこもり、新素材T-Shirtsの可能性とこれからの販売計画について、一日中話し合っていた。19965月に無事メリーランド大学を卒業したPlank氏は、クレジットカードローンやこれまで貯蓄などで、4万ドル(約320万円)の資金をかき集め、ついに会社登録を行う。正式にUnder Amour社が誕生した瞬間である。
  • 最初はトラックの荷台にありったけの新素材T-Shirtsを詰め込み、アメリカ中の大学を訪問販売して周る日々を過ごす。また、高校やPrep School4年制大学への準備期間のために入る学校)時代のチームメイトを通して、フットボール強豪大学やNFLチームに新素材T-Shirtsの郵送を開始する。
  •  Under ArmourT-Shirtsを着用しているオークランド・レイダースQBJeff George選手の写真が、アメリカ全国紙USA Todayの一面に掲載される。これがきっかけとなり、徐々に一部のアスリートの間で、Under Armourブランド名が知れ渡るようになる。
  • USA Today紙上の写真を偶然目にしたアメフトの強豪校・ジョージア工科大学の用具マネージャーがUnder Armour製のT-Shirtsに興味を持ち、60枚を電話注文したのが一番最初の大学フットボール部とUnder Armourとの契約である(用具マネージャーは、350枚購入したいとPlank氏に伝えたものの、当時Plank氏は全部で60枚しか新素材T-Shirtsを在庫に抱えていなかった)。その後、ジョージア工科大学から広まったポジティブな評判を聞きつけたノースカロライナ州立大学と、Prep School時代の同級生がプレイしていたアリゾナ州立大学が後に続くようになる。
  •    設立1年目の1996年度末までに、500枚のT-Shirtsを販売し、約17000ドル(約150万円)の売り上げを記録する。Plank氏とFulks氏が祖母の地下室を飛び出し、初めてボルティモアにオフィスを構えたのもこの時期である。


【創業者のKevin Plank氏(左)と、2011NFLドラフト全体1位のCam Newton選手(カロライナ・パンサーズ)】



199799年:ブレイクスルー
  • 2年目の1997年には、汗を逃がすT-Shirtsに加えて、HeatGear(気温24以上を想定した夏用トレーニングウェア)、ColdGear(気温13以下を想定した冬用トレーニングウェア)、AllseasonGear(気温1423を想定した通年トレーニングウェア)というように、商品ライン数を増やし始める。ファッション性を重視した他メーカーとの差別化を図り、アスリートの技術力向上を目的とした「パフォーマンス・アパレル」メーカーとしてのアイデンティティーを確立する。Under Armourの機能性の素晴らしさが、プロ、及び大学アスリートの口コミのみで広がり始める。1997年度末までに、商品ライン全体で合計7,500枚の売り上げを記録する。
  • 1998年は結果的に、Under Armourにとって極めて重要な年となった。先ず、今は亡きNFL Europeと公式サプライヤー契約を凍結する。また、この年の夏には、Under Armourの成長に合わせるように、5,000スクエアフィート(465)の新しい社屋にオフィスを移動する。
  • Plank氏がロサンゼルス在住の映画キャスティング・ディレクターにサンプル商品を送ったことがきっかけで、アル・パチーノ、キャメロン・ディアス主演のフットボールを題材にしたハリウッド映画「AnyGiven Sunday」内で、Under Armour製のウェアやユニフォームが映画用の衣装として使われることが決定する。またその後、キアヌ・リーブス主演のフットボール映画「TheReplacements」とも、Under Armourはコスチューム提供契約を結ぶことに成功する。映画上の重要な場面でUnder Armour社製のトレーニングウェアが映し出されており、映画公開と同時にそれまでコアなアスリートの間でしか知られていない存在であったUnder Armour社のブランド名、及びロゴが一般層まで広く知れ渡るようになり、売り上げが激増した。
  • 1999年度末には、25万枚のアパレル商品の売り上げを記録した。また、この時までには、MLB所属の8球団、ほとんどのNFLチーム、NHL所属4チーム、そして数多くの大学チームと、Under Armour社はウェア提供契約を凍結する。この年、Under Armourの売り上げが初めて100万ドル(約8000万円)を突破し、創立3年にしてPlank氏は自分自身に給料を支払えるようになった。

Under Armourが一般層にまで知れ渡るきっかけとなった、アル・パチーノ、キャメロン・ディアス主演のハリウッド映画「Any Given Sunday」】



このように、チャレンジを繰り返す中でUnder Armour社は徐々に成長を遂げ、現在では年収10億ドル(約800億円)を突破し、従業員3,900人を抱え、世界中で23,000店舗のスポーツ用品専門店で商品が販売されるまで発展を遂げました。Under Armourブランド急成長の裏には、創設者であるPlank氏自身の元フットボール選手としての経験から来る、全てのアスリートが抱えるパフォーマンスを少しでも向上させたいという熱い想いや、自分の信じたプロダクトを世の中に広めるための重ねて来た不断の努力が隠されているのです。


Part2に続く)
Athletes Dream Management, Inc.ニューヨーク 三宮 伸也

1 件のコメント:

  1. スポーツの世界は学歴社会という本を読んだ。

    難しい問題をかいていた。

    選手引退後の人生では学歴は重要になるという感じだった。
    文武両道でがんばることが大事ということですね。

    文武両道といえば、慶応の理工4年福谷選手がドラフト1位で指名されましたね。文武両道ですごいですね。がんばってほしいです

    サっカー界には文武両道で有名な東大卒Jリーガー久木田さんや他にも岡田武史さん、宮本恒靖さん、橋本英郎さんが文武両道で有名です。、ゴルフ界といえば、坂田信弘さんくらいしか思い浮かびません。


    しかし、大学ゴルフ界に文武両道プロゴルファーになる卵がいます。
    東大法学部4年の高野隆

    彼は朝日杯争奪日本学生ゴルフ選手権には4回出場し、6位に入った。他にも、日本学生ゴルフ選手権3回出場、日本アマ出場、トップクラスで活躍するスーパースターです。

    九州大2年の永井貴之

    彼は九州ジュニアゴルフ選手権4位、国体選手にも選ばれた。日本学生ゴルフ選手権出場、文部科学大臣杯争奪全日本大学・高等学校ゴルフ対抗戦出場など、全国大会の常連です。

    和歌山県立医科大学医学部医学科1年の辻田晴也

    彼は関西高等学校ゴルフ選手権2位、全国高等学校ゴルフ選手権に3回出場など全国大会の常連で、関西学生秋季新人戦2位、西日本医科総合体育大会2位、関西学生秋季新人戦2位です。

    他のスポーツ界に負けず、文武両道3羽ガラスが将来プロゴルフ界で活躍すればなぁーと思います。

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