2012年3月21日水曜日

新学生ブロガー 守屋栄治よりご挨拶



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はじめまして。

今回から学生ブロガーとしてブログを更新させて頂く事になりました、守屋栄治です。
まずは自己紹介させていただきます。

おそらく私は他の人とはまったく違った生活を24年間送ってきました。
それはなぜかと言いますと、人生の転機というものが人以上に多かったからです。

まず初めの転機は小学生の時に訪れました。

中学受験をし、自宅から新幹線で2時間以上も離れた中高一貫、全寮制の中学に入学する事になりました。この日を境に親元を離れ、今日までずっと両親と一緒に住む機会はありませんでした。 
幼い頃から両親の影響でやっていたテニスを中学に入っても部活動として続ける事にしました。
テニス部の施設は貯水池に書いたテニスコートが2面あるのみで、決していい施設だとは言えませんでした。また、中高一貫の学校だったのでテニスコートを中学生が使えるのは一週間の半分で、ほぼ部活とは呼べないほどでした。
その時にたまたま母が見つけてきた夏休みなどの長期休暇中に参加できるテニスキャンプに参加し始めました。これが後に私の人生に大きな意味を持っていきました。

中学3年生の冬、普通の中学生なら高校受験を考えている時期、私は中高一貫の学校にいたので高校受験の事など少しも考えていませんでした。なので、いつものように冬休みを利用してテニスキャンプに参加しました。この回のキャンプはシンガポールにある日本人プロとのコラボレーションでシンガポールで行われました。この時に人生で初めて私は日本を離れました。

そして、私はシンガポールの日本人プロとコーチたちに衝撃を受け、どうしてもこの方々のもとでテニスをやってみたいという衝動に駆られ、帰国してすぐに父親の元へ行き、シンガポールに行かせてもらえるようにお願いしました。幸いな事に父は私が挑戦したい事を応援、支援してくれました。

といういきさつで、シンガポールに渡り高校3年間をすべてテニスに捧げてきました。
その3年間では、東南アジア諸国に何度か遠征し、いろいろな方との貴重な出会いや体験をさせて頂けました。
そして高校3年になり、他の高校生同様に大学に入る為の準備を始め出しました。
その頃の私は全くと言っていいほど、アメリカや他の国の大学進学など考えもしていませんでした。

それはそもはず、私は中学1年から始まった「英語」と言う科目は一番の苦手教科であり、一番嫌いな教科でした。それは、高校に入学してからも変わらず、高校3年間の英語のテストはほぼすべて赤点ギリギリで40点も取れれば、周りからは100点取った勢いで褒められるほどでした。
しかし、高校3年の冬に行った北京への遠征で、あるコーチに言われた一言が私の人生を180度変えてしまいました。遠征が終わり、空港に向かう車内で今後の話をしていた際に「あんたはアメリカの大学が性格的にいいよ。」と言われました。その方はもちろん私の英語のレベルを知っていた上で、そういった言葉を私にかけてきました。英語は嫌いながらも、幾度かの遠征により英語の重要性と必要性は肌で感じていた私は驚きと不安はありながらも、アメリカの大学に進学すると選択肢は私の中ですぐに大きくなっていきました。
そして、私が常に感じている「他の人と違う事がしたい」という感情と英語さえ克服できれば他の人とは比べ物にならないくらいのポテンシャルが自分につくという自負が私の背中を後押ししていきました。

そんないきさつで、ほぼ決まっていた日本の大学進学をやめ、アメリカの大学進学に向け準備を始めました。もちろん、私の英語力ではすぐにアメリカの大学に行く事は出来なかったため、フロリダにあるテニスアカデミーでテニスをしながら語学学校で英語を1年半学び、そこでいろいろと面倒を見てくれた日本人のコーチやテニスアカデミーのコーチの紹介でアラバマ州にあるTroy Universityに入学する事になりました。2つあった大学の条件はスポーツの勉強ができる大学及び日本人の少ない大学であり、Troy Universityはその二つの条件に合ったので、私はすぐにこの大学に行く事を決めました。
そして4年経ち、私は今Troy Universityで最後の学期を過ごしております。

私が今ここにあるのは私の人生の転機で出会ってきたすばらしい方々のサポートと家族からの柔軟な理解のおかげだと思っています。

そして、私がここでブログを書かせていただく機会を与えてくださった事も私の新たなすばらしい出会いだと思っております。

長くなりましたが、自己紹介でした。

これからのブログを私の人生の背景を理解していただいた上で、読んでいただけると光栄に思います。

守屋栄治

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