2011年10月29日土曜日

特別寄稿:北海道日本ハムファイターズ 通訳 石川拓道


皆さん、お久しぶりです。元Athletes Dream Management, Inc.インターンで、現在は北海道日本ハムファイターズ通訳の石川です。

ファイターズでは5月の末から働き始め、そこからの5ヶ月間はあっという間でした。誰もがあこがれるプロ野球の世界で働くことができていますが、今回のブログではこの5ヶ月を振り返ってみて、ADMで学んだことをどのように今の仕事に活かしているか、 ということを中心に書いていきたいと思います。


まずADMで厳しく言われ続けたことを挙げてみると、
  • 常に相手のことを考えて行動する
  • 常に頭を使う
  • 常に疑問を持つ
  • 上司・先輩との報告・連絡・相談を密に行う
  • 相手にわかりやすく伝える
  • 物事に優先順位を付けて動く

になります。


これらのことはADM5ヶ月間インターンとして働いていたときに上司の方々に口酸っぱく言われていました。学生と社会人との違いというものADMで経験することができました。社会に出て働くということは、自分のために勉強をする学生時代とは全く違うということを実感しました。


そして、それまで日本の企業に就職したことが無かった自分が5月末からファイターズで働き始めることになりました。現在の通訳の仕事で求められることというのは、
  • 常に謙虚でいる
  • どんなに細かいことでも上司に報告・連絡をする
  • 外国人選手の気持ちになって行動する
  • 通訳をする際、言葉の選択に気をつける

ということです。


常に謙虚でいるということはADMでインターンをしていた際にも上司からよく言われていたことです。上司からは「お前さんはどんだけ偉いんだ。もったいないねえ。君という人間は本当はそういう人間ではないのに。言葉の選択を間違えるだけで相手の受ける印象は大きく変わるんだよ。言葉の選択に気をつけて、謙虚な姿勢でいかないとね。」と言われていたことを思い出します。


ファイターズでは厳しく言われることはありませんが、上司が通訳陣と話をするときによく「ファイターズで働いているから偉そうに振舞うのではなく、謙虚にある気持ちを常に持ち続けてください。」と話されます。これらの話を受けて、常に謙虚に振舞うように仕事中だけではなく普段の生活からも心掛けています。


報告・連絡・相談についてですが、ADMで働いていたときも自分の足りない部分でしたが、ファイターズで働く中でもまだ自分の改善していかなければいけない部分だと思っています。「ささいなことでも報告をする」という部分が自分自身まだまだ足りないと実感しています。ファイターズの上司からも報告は聞かれる前に自分から言ってきて欲しいという言葉を受けているので、常日頃から意識しなければいけないと感じています。


また通訳をする上で大事なことは外国人選手の気持ちになって行動する、ということですが、これは上司と先輩通訳から働き始めたときによく言われていたことです。先輩通訳は「距離感」ということも話していましたが、選手が1人でいる時間というものを大事にして、尚且つ、選手が通訳を必要としているときに目の届く範囲にいるという距離感が非常に大切になってくるということを学びました。選手一人ひとりにその距離感というのも違ってきますから、自分自身まだまだ模索している部分もあります。


また上司からは「外国人選手を守ってあげられるのは通訳の力に懸かっている。」と言われることがあります。自分の訳し方一つでその選手のイメージが大きく変わってしまうということで、通訳をする際に言葉の選択には特に気をつけるようにしています。取材を受けた次の日の新聞には自分が訳した内容がそのまま記事になります。やりがいのある仕事だと実感すると共に、大きな責任が伴う仕事であるとも感じています。


そして、監督・コーチ、日本人チームメイトたちとの潤滑油としての役割も非常に重要な部分です。言葉や文化の違う国でプレイし、尚且つ成績をすぐに残さなければいけないということは、想像以上のストレスが伴うことです。チームメイトといい関係を築くというのは外国人選手が成績を残すうえでキーポイントになると、この5ヶ月働いてきた中で実感しました。


私はまだ社会人一年目ということで、ミスも多く現在の上司には大目に見てもらっていると思いますが、過去の失敗や経験から一歩ずつ一社会人として成長していかなければと思います。


昨日より今日、今日より明日、明日より明後日、と日々成長していきます。





石川拓道
北海道日本ハムファイターズ
通訳

2011年10月20日木曜日

Conditioning の重要性


シーズン中に面白いことがあった。


一人の投手がこう聞いてきた。「俺の球速が全然上がらない。むしろ、ずっと下がり続けて、今は8588マイル(140キロ前後)しか出なくなった。プロ1年目は9094マイル。2年目、3年目は8892マイル。どんどん下がり続けている。もう1カ月もトレーニングしているのになぜだ?」と。


彼は、プロ入り以降、2年目でメジャーデビューを果たし、去年はメジャーで10勝を挙げているが、プロ入り以降3年間ほとんどウエイトには触れずにやってきた。球速が下がった理由はトレーニングだけではないのかも知れない。


だが、そのツケが今頃回って来たと私は思う。そして彼はこう付け足した。「高校時代は全然トレーニングもせずに90マイル出たのに、今は1カ月間トレーニングしても90マイルも出ない。」と。


まず、3年間何もやらないでそれを1カ月で戻そうとするのは虫の良すぎる話である。それから、高校時代は何もしなくても球速が上がって当然なのだ。中学生の時に比べて、トレーニングをしなくても、ホルモンの関係により、体も骨格も筋量も全て増すのだから。


この業界にいると、こんな話をよく聞く。高校時代のコーチはすごく良かった、と。なぜかと聞くと、体も大きくなったし、何より強くなった、と。それは、高校時代のコーチが良かったわけではない。高校生という時期は、間違ったトレーニングをしていても体が中学の時と比べて格段に大きくなり、強くなるのだ(決して高校のコーチが悪いと言っているわけではない。中には、素晴らしいコーチもたくさんいる)。


それから、僕が見ていたピッチャーはトレーニングを頑張り始めた。シーズン半ばを過ぎた辺りからだ。今シーズンは少し時間が足りなかった。だが、私は彼の来年の活躍に期待したい。


Number 」でもう一つダルビッシュ投手についての記事を読んだのだが、彼の体はトレーニングと、適切な栄養バランスによって大きくなり、体重もかなり増え、安定した良い投球が出来ている、と。彼がどんなトレーニングをし、どんな体調管理をしているのか、非常に興味をそそられる。そして、彼のトレーナーの方がどんなトレーニング・フィロソフィーを持っているのかが気になるところである。


内藤良亮

2011年10月15日土曜日

新天地にて


こんにちは。矢沢大悟です。
Wofford大学でのインターンシップを始めて1ヶ月が経ちました。


前回の投稿で少し紹介した通り、僕の主な仕事はスタジアム&アリーナの管理、メンテナンス、オペレーションなのですが、秋学期の間はフットボールやサッカーのスタジアムを主に管理しています。Wofford大学のフットボールスタジアムでは高校フットボールの試合も行われるので、週末は金曜が高校フットボール、土曜が大学フットボール、そして日曜日にサッカーの試合という週もあります。なので1ヶ月しか働いていなくても毎日多くの経験を積むことができています。


最近は「Woffordに来てまだ1ヶ月か」というのをよく感じます。それはキャンパス内を動きまわったり、朝から夜遅くまで上司と仕事をこなしたり、空いている時間に他のインターンやスタッフ、コーチの方々と談笑するという生活が体に染み付いてきたからだと思います。ゴルフカートで小さいキャンパス内を隅から隅まで移動しているうちに、1ヶ月前は何も知らなかったキャンパスが自分の庭のように思えてきますし、上司やスタッフの人たちと仕事中や食事中に話す時間があるので、お互いの事を知り合うこともできています。


これらはNC stateという大きな大学では味わえない、小さい大学ならではの良さだと思います。Woffordに来た初日に副学長の方とキャンパス内ですれ違った際に、「君がもしかしてアスレチックで働く日本人の子か?」と声を掛けられたときは衝撃的でした。まさかアスレチックで働くインターンの情報まで副学長の耳に届くなんて思いもしませんでした。またアスレチックデパートメントの規模もそれほど大きくはないので、名前を覚えるのが苦手な僕でもスタッフ全員のファーストネームはすぐに覚えることができました。


サウスという土地柄もあるのか、周りのみんながすごくフレンドリーで働きやすい環境にいさせてもらっています。これから1年間多くの経験を積みながら、楽しく仕事ができていけたらと思っています。


ちなみにWoffordのマスコットはテリア(Terrier)です。興味がある方はぜひウェブサイトなどをチェックして応援してください!よろしくお願いします!


<キャンパス内のテリア像>


矢沢大悟
Wofford College

2011年10月8日土曜日

アメリカサッカーに関するあれこれ:ミア・ハム編

こんにちは。
LAインターンの大島です。

前回のアメリカサッカーシリーズから大分時間が経ってしまいましたね。。。
今回は、アメリカ女子サッカー界のレジェンド的存在であるミア・ハムについて
お話ししたいと思います。



マリエル・マーガレット・ハム(Mariel Margaret Hamm)ことミア・ハム(Mia Hamm)は、4人姉妹の末っ子として、1972年にアラバマ州で生まれました。父親の仕事の都合で住んでいたイタリアでサッカーボールに出会ったのが、彼女がサッカーに触れ合う最初のきっかけとなりました。一時期フットボールチームに所属していた頃もありましたが、最終的にサッカーの道へと戻り、1989年にスポーツ校として有名なノースカロライナ大学チャペルヒル校(University of North Carolina at Chapel Hill:以下UNC)に入学しました。
 
UNC時代は、女子サッカーチーム「ターヒルズ」をNCAAトーナメント4連覇に導き、かつ4年間の在学中に3年間、全米及びアトランティック・コースト・カンファレンス(ACC)の最優秀選手として選ばれました。大学がバスケの神様マイケル・ジョーダンと一緒だった事、彼女が成し遂げた功績をたたえた事が合わさって、在学中は「ジョーダン」のニックネームがついていたそうです。



サッカーにおけるハムの輝かしい実績は大学だけに留まりません。当時史上最年少の15歳で代表入りした彼女は、1991年のFIFA女子ワールドカップで優勝を経験、1996年のアトランタオリンピックでは金メダルを獲得しました。続く1995年の女子ワールドカップでは3位に留まったものの、1999年に再びアメリカ代表をワールドカップ優勝へと導きました。アメリカで行われた1999年度のワールドカップ最終戦には、会場となったローズボウルに9万人を超える観客が集まったそうです。2003年には彼女の活躍で、WUSA所属チーム(参考ブログ:WUSA)のワシントン・フリーダムズがリーグ優勝を果たしました。代表として、現役として最後の国際大会になった2004年アテネオリンピックでは、再びアメリカ代表を金メダル獲得へと導き、同年12月に引退しました。

 
通算代表キャップ数は275、国際大会での通算ゴール数は158にもなります。このゴール数は男女合わせても世界第1位の記録です。

アメリカサッカー界において、ミア・ハムは欠かせない存在となっています。
 
参考:Wikipedia
 
LAインターン 大島麻矢

2011年10月5日水曜日

初めまして


初めまして、モンタナ州ミズーラに住んでいる西尾友滉(ニシオ トモヒロ)と申します。今回から学生ブログに参加させて頂くことになました。

今回は自己紹介をさせて頂きます。


私は愛知県名古屋市の愛知工業大学名電高等学校を卒業後、同じく愛知県の中和医療専門学校柔道整復科に進学し、四年後卒業と同時に国家試験に無事合格し柔道整復師の資格を取得しました。


その後、就職しようか考えましたが、アメリカでアスレティックトレーニングの勉強をしたいと決意し先ずは語学学校で英語を勉強するため、2006年11月にオレゴン州ポートランドの語学学校に入りました。その時に、ポートランド州立大学でアシスタントアスレティックトレーナーとして働いていた日本人の方と出会いました。その方はThe University of Montana(以下UMにて略)の卒業生でその方からUMのことを聞き大学はUMに行こうと決めました。


しかし英語の勉強は思い描いた様に簡単にはいかず、先ずはコミュニティーカレッジに進むことに決めました。コミュニティーカレッジはワシントン州ベルビューにある、Bellevue Community Collegeに進学し、2年間の勉強を経て昨年2010年8月にUMに編入しました。


今年念願のアスレティックトレーニング学部を専攻することは出来ず、現在はCommunity Health学部に3年生として在籍しております。Health and Human  Performanceの分野にはAthletic TrainingExercise ScienceCommunity Health、そしてHealth Enhancementという学部があります。


あと2年この学部で奮闘していこうと思いますその中で自分は将来どういうことを本当にしていきたいのかを意識しながら日々精進していきたいと思います。

よろしくお願いします。


The University of Montana
西尾友滉