2011年3月23日水曜日

強いという意味

あれから2週間が経とうとする。
皆が討論、そして自問する“今の自分に何ができるのか”


押し寄せる津波を背に高台へ急ぐ心境、
町ごと流され、戸籍抄本や身分証明すら出来なくなった人々。

そんな被災者の方々の気持ちを想像することすらできない今の僕が
どんな言葉を綴ったとしてもきれいごとに聞こえてしまう。


17年前。
当時小学校1年生だった僕は、
自分の7歳の誕生日である1月17日に
阪神淡路大震災にて避難所生活を余儀なくされた。


事の重大さ、被害の甚大さなど理解することなく月日が流れ、
知らぬ間に神戸の街が元通りに戻っていた。
そんな感覚すら持つ僕自身、当時の被災者であって被災者ではない。


どうしようもなく、やるせないこの状況下でも
今の日本には国のトップだけでなく、
市や町、小さなコミュニティーで奮闘するリーダーが台頭してきている。

そのリーダーに付いていく強い心を持った
被災者の方々や支援団体、そしてその手のプロ集団。


打たれても倒れない、転んでも立ち上がる。
そして、泣いてもまた笑う。
そんな強さが今回の震災で僕の目に印象強く映った。


こうして拙い言葉で綴る自分も、そしてネットを通して読む人々も
被災者ではなく支援者。


自分に出来ること。
それについて精一杯悩めるだけ悩んだ上で、
今こうして普段通りの生活が出来ることへの感謝を忘れず
いつも通り笑顔で過ごすこと。

それが今の自分にできること。


まとまりのない、駄文のような文章になりましたが
東北関東大震災において被害にあわれた地域の皆様に、
謹んでお見舞い申し上げますと共に、
被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。



川田圭介
Henderson State University

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