2012年4月18日水曜日

新LAスタッフ水野芳樹からご挨拶と自己紹介

2012年4月2日よりLAオフィスにて勤務をしております、水野芳樹(みずのよしき)と申します。
勤務開始から2週間が経ちました。
現在30歳、この年になって初めてアメリカでの生活を経験しております。

業務ではもちろん、生活面でもうまくいかないこと、思い通りにいかないことが多々ありますが、すべて良い経験として自分の中に蓄えられていくのを感じ、日々過ごしています。
そんな中、簡単ですが、ご挨拶を兼ねてここに自己紹介をさせていただきます。

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生まれは1982年3月4日、北海道室蘭市が私の故郷です。

室蘭では高校卒業の18歳まで過ごし、その後福島県にある福島大学に入学しました。
大学入学当時は体育教員になることを検討しており、教育学部の保健体育科にあたる教員養成課程健康運動系教育コースに入学しました。
しかし大学で4年間を過ごすなかで、職業選択について自分の中でどうしても外せないものがあることに気づきました。
それは、「野球」です。小学校3年から大学4年まで、14年続けた野球。その野球の、国内の最高峰であるプロ野球球団で、どうにかして職を得ることができないかと考えるようになりました。
しかしその頃は考えが漠然としていて、「こうしたらプロ野球チームで給料をもらえるようになる」というアイデアはありませんでした。

そんな中出会ったのが、福島大学人間発達文化学類教授の、白石豊先生です。
先生は当時、北海道日本ハムファイターズのメンタルコーチを務められており、その他、オリンピックにも2度帯同されたり、プロスポーツ球団や選手を多々ご指導されたりという方でした。
この白石先生の授業を受けて衝撃を受けた私は、なんとか先生に師事して人生を切り拓きたいと、18歳ながらに直感的に感じたことを覚えています。


その後先生の研究室に所属し、大学院に進学しました。
そうしてたくさんのご指導を受ける中で、プロアスリートのメンタルトレーニングにはもちろん、技術練習の際に利用する映像データを扱う仕事を、少しずつやらせていただけるようになりました。プロ野球はもちろん、プロゴルファー、Jリーグ、高校生のハンドボール、そして市民レベルでの各種のスポーツなど。様々なスポーツにおける、映像を利用した技術分析や動作解析、ゲーム分析の現場経験を積ませていただきました。
また大学院の修士論文では、当時北海道日本ハムファイターズのヘッドコーチであり、現横浜DeNAベイスターズ白井一幸コーチからご指導をいただき、「ツイスト打法」に関する研究論文を上梓いたしました。その後、この延長でプロ野球チームに入り、映像やデータの活用を職業にしたいと思いながら、大学・大学院での研究や仕事を続けました。
しかしそう簡単にはことは進まず、大学院卒業後1年間は、東京で野球とは関係ない職に就いておりました。

そんな中、一時はあきらめかけたこともあったのですが、大学院卒業のちょうど1年後、2007年3月に株式会社楽天野球団に入社することができました。
当時、楽天野球団の1軍守備走塁コーチが、現北海道日本ハムファイターズの西俊児コーチであり、白石先生・西コーチとのご縁があったこと、そしてタイミングがよかったことで入社のチャンスを得たというのが、一番の要因であり感謝の気持ちに他ならない点です。

楽天野球団では5年間、チーム統括本部にて勤務させていただきました。
入社当初は、チーム統括本部全体のアシスタントとしての勤務。選手・監督・コーチを初め、スコアラー・スカウト・通訳・コンディショニングチーム・チームの予算管理など、チーム内のすべての方と関わるチャンスをいただき、プロ野球チームの運営について、広く知識や経験を身に着けることができました。

そしてその後、少しずつチーム内の映像やデータの運用という業務比重が増えてくることになり、チーム・育成・編成など、さまざまな分野で扱う映像やデータを運用することになりました。
最終的にはチーム統括本部運営部分析グループマネージャーとして勤務しておりました。
そんな中、選手やスタッフとしてアメリカ球界を経験された上司・先輩方に囲まれて、お話を伺い、業務を進める中で、アメリカ球界・ひいてはアメリカスポーツ界に対する興味・関心が大きくなってくることに気づきました。また業務上でもMLB球団との接点が出てきたこともあり、球団での勤務5年目の2011年、一気にアメリカ球界に対する思いが熱くなりました。
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           【楽天野球団チーム統括本部 勤務時代】

球団での業務や、周りの方々にご指導いただきながら過ごす時間がとても充実したものでしたので、いろいろな悩みや葛藤がありました。しかし最終的には自分の気持ちに素直になることに決めました。それは、アメリカのスポーツ界・アメリカのスポーツビジネス界でチャレンジをすることです。
正直英語力も十分ではありません。そんな中アメリカに渡り、自分が知らない世界で野球を経験し、スポーツを感じ、視野を広げたいと思うようになり、最終的には退社を決意しました。

5年間の経験を積ませていただき、最終的に自分の気持ちを理解していただいた球団には、大変感謝しております。
その後ADM社に出会い、この4月から勤務させていただいているというところです。

以上、ざっと自分の半生を振り返ると共に、自己紹介とさせていただきました。
ADMでの勤務はまだ始まったばかりですが、研修プログラムを企画・運営するツアー事業、物販を取り扱うSP事業、そして社全体の広報業務など、自分にとっては未知の分野の業務に囲まれています。
そして、目の前の業務、英語を使っての業務、時差を越えての日本国内に関する業務、野球以外のスポーツに関する業務。どれをとっても初めての経験が多いですが、それを乗り越えようと、いま必死になって取り組んでおります。
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【渡米後初のMLB観戦 ドジャースタジアムにて】

2010年に結婚したのですが、妻を日本に残しての渡米生活を送っています。
送り出してくれた妻には本当に感謝していますし、妻ばかりでなく家族、今までの自分の人生を拓くきっかけをいただいた方、話を聞いてくださった方、アドバイスをいただいた方。
みなさんに感謝の気持ちで、アメリカでの、ADMでの時間を過ごさせていただいています。
誠実に・まじめに・貪欲に業務に取り組み、そして日米の野球界・スポーツ界をつなぐ懸け橋となるべく、いろいろな情報を発信していきたいと思っております。
自分ひとりでできることは少ないですが、みなさんと気持ちがつながったときに、もしかしたらひとりよりは大きなことができるかもしれません。そんなことを考えています。

今後とも、なにとぞよろしくお願いいたします。

Athletes Dream Management, Inc. LAオフィス 水野芳樹

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